姫田さんとの最後の会話

僕は姫田さんが亡くなる前に、コメダ珈琲店で姫田さんからコーヒーとアイスクリームが乗ってるパンみたいなやつをご馳走してもらいました。

諸事情あって僕を励ますためだったのでしょう、姫田さんの方から「今井くん、コーヒーでも飲もうよ」と誘ってもらったのです。

その時の会話を録音していたのですが、先日文字起こししていたデータを見つけ、読み返してみました。

このところ、志から逃げている自分が恥ずかしくなりました。

姫田「映像手段というのは、マイナスもあるが、プラスもある。1960年代の高度成長期に入ったころ、まさにそういう時代だったんだよ。その時期に「(自然に依拠した生活文化は)もう無い」と言われていた。「山の村は貧しくって・・・」ということに、特に都市生活者は終始していたからね。たとえば、「アイヌ民族はもういないよ」と言われていた。「焼畑?どこかでやっているかもしれないけど、そんなの時代遅れだよ」と。そういう人たちが『椿山−焼畑に生きる−』を観て、『イヨマンテ−熊送り−』を観てびっくりする。そしてその生活の豊かさにびっくりする。

この歳になって、自分自身の生死の問題に痛感している。課題としては「空の世界、山の世界、谷間の世界、水の世界、海の世界、そういう自然条件の中で生きていますよね」ということを、どれだけ映像で明らかに出来るか。掴み所がない世界だけども、切り捨てられ、切り捨てられして・・・。しかし、切り捨てることの出来ない自然条件がそこにあって。他の生き物だって、何とかして生き延びようとしているでしょう。同じように人間も・・・、というような意味の“存在”を忘れたところで、我々は何を偉そうな事を言っているだって思うよ。

体験していないものは、駄目ですよ。その点、映像というのは、撮影するためにはそこに行って、じっとしていなきゃいけないからね。それは映像のプラスだと思う。

何にしても、自分の頭で考えるとか、知的に考えるとかではなくって。自分の全存在が、こんなになって激動するような実感でね、対象に接する。それはいったいどういうことがあるか、ということに繋がっていくわけ。何でだろう。わかんないところで、考えもしないというのは駄目ですよ。それで、消えてしまった、それも意識しないという。実際は有るんだけど、無いがごとくあしらわれてきたものが、日本の山村漁村にいっぱいあるんだから。何にもできない自分だとしてもね。常にね、我々は何をし得るのか、何を記録するのか。それが記録者ですよ。」

今年秋、念願だった(3年越し?)特集上映会が実現します。

https://motion-gallery.net/projects/HIMEDA-TADAYOSHI

こちらも興味を持っていただけると幸いです。