『明日をへぐる』が月刊「視聴覚教育」に掲載されました

月刊「視聴覚教育」2月号に『明日をへぐる』の映画紹介を掲載いただきました。

「視聴覚教育」を発行する日本視聴覚教育協会には思い出があります。

『鳥の道を越えて』後の次回作の構想として、僕は日本のCIE映画と中国の『白毛女』など、映画が担わされたものがなんだったのかを描くドキュメンタリー映画を制作しようと計画していました。

祖父母は満州で終戦を迎え、その後中国の東北部にある鶴岡炭鉱に8年間も抑留されました。この鶴岡炭鉱に、じつは祖父母だけでなく、満映の撮影所システムもここに移されていたのです。

新中国は、ここで中国革命演劇が基にある劇映画『白毛女』を制作します。祖父母もその映画完成上映を現地で観ていたのでした。

日本へ引き上げるまでの8年間、かたやGHQ占領下の日本では、民主化のための啓蒙映画が日本各地で上映されていました。その啓蒙映画(CIE映画)をかけていたフィルム映写機は、「ナトコ映写機」と呼ばれていました。僕は、そのナトコ映写機を日本視聴覚教育協会の事務所で初めて目撃したのです。

結局この構想は、肝心要のストーリーテラーの祖父母の相次ぐ他界によって頓挫しましたが。。(まだ、作ってみたいという欲求は残っていますが。)

祖父のお葬式で、同じく鶴岡炭鉱に抑留されていた生存者からある話を聞きました。

祖父母たちは炭鉱生活で音楽を教わったそうですが、祖父母らにトランペットを教えてくれたのが、どうも内田吐夢監督だったらしいのです。(「私たちは雑魚寝、内田さんたちは裕福な生活が与えられていた」とも言っていました。)

祖父母がトランペットを吹けるとは思えませんが、今の自分が映画を作る夢の鉱脈が、じつはここから始まっていたのかと驚きました。