先日の『ウォロ』に寄稿した原稿の一部。
“当時の僕は、映画であれ何であれ、肩書きや技術、作家性で語られる今の風潮にうんざりしていた。特にドキュメンタリーにおいては作り手の主張や主義が求められる。その要求に応えることも大切だが、生身の人間である撮影対象者を差し置いて、作品の作り手が一人歩きしていくのには違和感があり、どうしても馴染めなかったのだ。それは作り手である自分にとってもジレンマであった。”
「当時は〜」と書いているが、実は20代(映画学校在学時代)からずっとそう思っている。今でもたまにこういうシュチュエーションに巻き込まれることが多々ある。最近は適当にうわべを整えることを覚えた。が腹の中では沸々と怒りが。
それでよくこの業界で映画作れているなと思うけど、もうちょっと頑張ろう。好きな餃子とか、アイスクリームのこと考えようっと。
作り手として、民族文化映像研究所の姫田さんやスタッフの人たちに出会えたことは、ほんとに救い。